体験を読んで

(流 No.227,pp.37〜38,2001)


 体験


 K・M 45歳(女性)
  身体障害者手帳1種1級

 ヨチヨチ歩きを始めたばかりの、娘の手を引きながら「何だろう、この手指の腫れと痛みは?」と感じながら、1週間2週間と日が経つにつれ微熱や全身を襲う痛み・こわばりは増すばかりとなりました。そのうちに、足の甲まで腫れあがり靴もワンサイズ大きなものに買い替えねば歩けなくなりました。人の勧めで子供を預け近くの総合病院を受診し“多発性関節リウマデとの病名を耳にしたのは、つい昨日のことのように思えます。
 治療が開始されたものの、体中が活火山のような炎症と電話のベルが鳴るだけで、頭から爪先にまで広がる鋭い痛みには、幾度天井を見つめながら涙したか知れません。そのうちに、衰弱から体重もみるみる減少し、薬を飲むが為に、ご飯を小さく丸めて口に運んだり、食パンの柔らかい所だけをつまんだりの食事をとる私を「ママは雀さんみたい!」と、娘も不思議そうに見ていました。ベッドからトイレへ必死の思いでたどり着いても、寝間着の裾を自分でたくしあげることもできず、トイレットペーパーを両手でちぎることさえもかなわなかった時は「生きることへ何の意義があるのだろう・・・」。と、体中の“痛み”から解放されることを心の底から望んだものでした。
 私が今日あるのは発病時のつらく若しかったあの頃、家族も医療者もあるがままに受け止めてくれたことで“心の痛み”をも緩和できたからだと、感謝の気持ちでいっぱいです。


 体験を読んで

比嘉 邦雄

 リウマチは、ある時ひそやかにそばに来ていたかと思うと、いきなり牙をむいて噛みつくような、そんな感じの発症をすることが多いように思います。K・Mさんの場合は、まさにそんな感じです。
 診断のための知識・技術が進歩し、今ではもうそのようなことは少ないはずですが、関節リウマチといわれるまでに、半年も1年もかかる場合がありました。しかも、今度はいきなり病名の頭に「慢性」です。
 患者さんは、とまどい、人から聞いたり、本を読んで調べたりしますが、そこには、慢性で進行性の、寝たきりになる病気だと(だけ書いてあるように)かんちがいさせられ、不安になります。(実際には、4人に1人は寛解し、さらに、4人に1人弱は低活動型で、結局、患者さんの半数弱は良い状態で生活を送っているはずです)(なお、平成14年4月の日本リウマチ学会総会で、「慢性関節リウマチ」から「慢性」を省き「関節リウマチ」へ変更することを決定しました)
 診断がついて治療が始まっても、急性期の“炎”はなかなか鎮まらず、強い痛みのため、寝ていても、歩くのも、トイレで下着の上げ下げにも、文字どおり必死のこともあります。リウマチの初期、急性炎症期は全身倦怠感や食欲低下や体重減少のため、日常生活動作も極端に制限されてしまいます。
 K・Mさんのリウマチ療養の日々の記述は、短い文章の中に、つらくて、とても長く感じられる、そうしたリウマチの典型的な病状経過が日に浮かぶようです。
 「ママは雀さんみたい!」という娘さんの無邪気な言葉(無心な子供の観察の目)と、恐らくそのころが、特につらい日々の頂点にあり、不安−それは痛みを増幅させ、それはさらに、不安を増し、と悪循環を形成します−におののいていたK・Mさんの様子が感じられます。リウマチ療養で特に注意すべきは、不安と無力感に囚われることです。いろいろな状況は、しかし、そこに陥りやすくなります。それに対して、少しずつでも、痛みが楽になったことや工夫(患者さん個々人で無数にあります)を続けていく(「効力感」を積み重ねる)ことが大切ですが、そうした日々の生活を続けるうえで支えになるのは何か?
 K・Mさんが「つらく若しかったあの頃、家族も医療者もあるがまま受け止めてくれたこと」と述べて、“体の痛み”が少しでもかわされ、さらに「“心の痛み”も緩和できた」と述べていますように、家族や医師・看護師・リハスタッフ、さらに友人その他周りの人々との親密なつながりが、最も支えになるのだと思います。

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